稲森 英彦 Hidehiko INAMORI
プラナ松戸治療室代表
【略歴】
東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。
1998年に鍼灸師資格を取得。心療内科クリニックに勤務し、東洋診療部門を立ち上げる。
2005年に自律神経系・心療内科系鍼灸院のプラナ松戸治療室を開設。
現在(2025年)臨床歴27年。
ストレスによる息苦しさ、めまい、喉のつまり感、動悸、吐き気、不眠、頭痛、首肩腰痛、慢性疲労、不妊、目の不調などに。全身のバランスを整えて自律神経の乱れを癒します。
詳細はコチラ頭皮の特定の機能局在領域(脳の各機能に対応する部位)やツボに細い鍼を優しく刺激することで、脳機能の活性化、神経伝達の改善、自律神経のバランス調整、精神的な安定を目指す施術です。
詳細はコチラ息苦しさ、不眠、動悸、うつ症状、痛み、めまいなど、幅広い症状に鍼灸で改善をもたらした症例集です。自律神経の調整から、体調不良まで、心身の調和を取り戻す症例をご紹介します。
詳細はコチラご予約、ご相談、ご質問などはこちらのフォームをご利用下さい。
私たちはつい、「世界には始まりがある」と考えがちです。
ビッグバン、天地開闢、創世神話──どれも「最初に何かがあった」と語る形式をとります。
けれども仏教、特にパーリ仏典の『アガンニャ経』が描く宇宙の始まりは、これまでの宗教とはまったく異なる観点を提示します。
それは、「神がつくった世界」でもなければ、「物質が偶然生じた世界」でもありません。
世界は、“存在たちの行為”によって濁り、崩れ、制度化されていく過程なのです。
そこにあるのは、創造主ではなく、“倫理の変化”としての世界の生成です。
『アガンニャ経』(Dīgha Nikāya 27)は、古代インドにおいて最も異端でラディカルな創世神話の一つです。
仏陀はこの経典の中で、若きバラモンたち(階級を尊ぶ支配層)に向けて、こう語ります。
世界は永遠に循環し、生滅を繰り返す。
あるとき、世界は収縮し、再び展開し始める。
最初に現れたのは「光り輝く存在たち」であり、彼らは物質を持たず、空中を漂っていた。
だが、あるとき、地上に現れた「大地の甘露」を味わったことで、彼らは物質を持ち、肉体を持ち、比べ、争い、制度を生み出し始めた。
ここで注目すべきは、世界が「神の意志」によって始まったのではなく、存在たちの“欲望”と“分別心”によって崩れていったという点です。
この物語に描かれるのは、宇宙の創造ではなく、関係性の堕落です。
最初に現れた存在たちは、非物質的で、互いに差異がなく、分別もなかったとされます。
彼らは空中に浮かび、光そのものでした。
ところが、「大地の甘味」に目を奪われ、それを舐めたとき、はじめて「味わう」という個別の行為が生まれたのです。
この瞬間、差異が生まれます。
「あの人は多く食べた」「私は少ない」「私のほうが先だった」──
こうして、分別と比較、欲と争いが始まった。
それはあたかも、エデンの園でアダムとイブが「知識の実」を食べた後、羞恥心と分離感を持ったような象徴性を帯びています。
世界は、「悪」や「罪」から始まったのではありません。
“比べる”という心の働きが、世界を分裂させたのです。
欲望による争いが広がると、やがて「境界」を作り、「所有」を主張する者が現れます。
「これは私の土地だ」
「これは私の食べ物だ」
「これは私の女だ」
ここから、社会秩序が必要になります。
王が立てられ、階級が作られ、法律や宗教が制度化されていきます。
だが仏陀は、この制度の起源は本来的に崇高なものではないと喝破します。
それは、「堕落した関係性をとりあえず保つための応急処置」に過ぎないのです。
この思想は、バラモン階級を頂点とする当時のインド社会に対する痛烈な批判でした。
仏陀は、制度的権威ではなく、「行為によって人は清らかにも汚れてもなる」と説きます。
それは、行動=カルマが世界を編むという倫理的宇宙論です。
この宇宙観の核にあるのが、仏教の根本教理である縁起(Paticcasamuppāda)です。
縁起とは、すべてのものが互いに依存しあい、独立した実体など存在しないという洞察です。
『アガンニャ経』は、この縁起の思想を、時間的=宇宙論的なスケールで表現したものと言えます。
世界は「存在の場」ではなく、関係の結果として“今ここ”に立ち上がっているということ。
それは、易経が語った「象としての世界」と響き合っています。
ここで再び問いましょう──
「世界が壊れる」とは、どういうことか?
それは、隕石が落ちてくることでも、経済が崩壊することでもありません。
もっと根本的には、人と人との関係性が濁り、分断が深まり、信頼が壊れていくことです。
つまり、世界の崩壊とは、“縁”が切れること。
そして、“縁”が切れるとは、倫理が失われること。
『アガンニャ経』の核心はここにあります。
世界は、倫理的関係の織物として成立しており、欲望と分別がそれをほどいていく。
では、崩れた世界はどうすれば再生するのか?
仏教において、それは「神による赦し」ではなく、「自己の内にある“気づき”と“修復”」によって可能になります。
これが、仏教が示す「倫理的宇宙論」なのです。
仏陀はこのように語っています:
行為によって人は清らかになる。
行為によって人は汚れる。
その人が何者であるかは、その人の行いによってのみ決まるのだ。
世界の再生とは、制度や権威の刷新ではなく、
一人ひとりの関係性の回復=縁の再編成によって起こるのです。
『アガンニャ経』は、宇宙論を語りながら、実は私たちの日常を語っています。
あなたと他者、あなたと自然、あなたと未来。
そのすべては、「私のもの」「あなたのもの」と分けた瞬間に、濁り始めます。
そして、その濁りは、個人の意識だけでなく、社会構造、文明の形、さらには世界の構造そのものに影響を与えている。
世界は、倫理の網の目のようなものです。
その糸が一本一本ほつれていくとき、世界は音もなく崩れていく。
逆に、その糸をもう一度、丁寧に織り直すことで、世界は再び立ち上がってくる。
それは、制度ではなく、「気づき」と「思いやり」によってしか達成されない、静かで力強い革命です。
鍼灸は数千年の歴史をもつ伝統医療ですが、「本当に効くの?」「科学的に証明されているの?」と疑問を抱く方も多いと思います。今回は、鍼灸が現代の医学研究でどのように評価されているのか、実際の研究結果をもとにご紹介します。
近年、鍼灸の効果を検証する臨床研究が世界中で数多く行われており、特に以下の分野で一定の効果が示唆されています。
• 鍼灸は過敏性腸症候群(IBS)や機能性ディスペプシア(胃のもたれや腹部膨満感)に対して、症状の緩和効果が報告されています。
• 例えば、2020年のCochraneレビューでは、「鍼灸はプラセボよりもIBSに有効である可能性がある」とされています。
• 鍼刺激により、自律神経バランスや消化管の運動調整が行われると考えられています。
• 鍼灸は月経困難症(生理痛)やPMSの軽減に効果があるとする研究が多くあります。
• 2011年のレビュー研究では、「鍼治療により月経痛の程度が軽減される可能性がある」と結論づけられました。
• また、体外受精(IVF)と鍼灸を併用することで妊娠率が上がる可能性があるという研究もあります。
• 一部の臨床試験では、鍼治療によって血圧が低下したという報告があります。
• たとえば、2007年に発表されたドイツの研究では、鍼灸によって収縮期血圧が平均5~7mmHg低下したとされています。
• 鍼が自律神経に働きかけ、交感神経の興奮を抑えることで血圧が安定すると考えられています。
• 頻尿や夜間尿、過活動膀胱に対しても鍼灸の効果が研究されています。
• ある研究では、鍼治療後に夜間の排尿回数が30~40%減少したという結果も報告されています。
2003年、WHO(世界保健機関)は鍼灸の有効性が認められる疾患一覧を発表しました。その中には、胃腸障害、月経痛、高血圧、尿失禁、アレルギー性鼻炎などが含まれています。これは、伝統医療に対する科学的な裏付けの一環として高く評価されています。
とはいえ、鍼灸は魔法の治療ではありません。症状によって効果に差があったり、個人差もあります。また、研究によっては「効果が不明」または「プラセボとの差が明確でない」とされるケースもあります。
鍼灸は、長い歴史と経験に加え、近年では科学的に検証された信頼性のある治療法として再評価されています。
不調に悩む方や薬に頼りたくない方にとって、副作用が少なく、自然な治癒力を引き出す選択肢としておすすめできる療法です。
監修・執筆:プラナ松戸治療室
たとえば、こんなことを感じたことはないでしょうか。
まるで、世界が自分の問いに応答してくれたかのような感覚です。
もちろん、現代的な合理主義の立場では、こうした感覚は「単なる偶然」や「人間の主観的錯覚」として片づけられがちです。しかし、宗教や哲学、深層心理学の伝統においては、こうした感覚には実在的な意味があると考えられてきました。
今回のシリーズでは、この問いを以下の知的伝統の交点で考察していきます。
そしてこのシリーズを通じて、次のような根本的問いに向き合っていきます。
この一連の問いは、単なる思考の遊戯ではなく、私たちがどのように生き、他者と関わり、死と向き合うかという実存的な問題そのものです。
第1回では、『私の問いに世界が応答する』とはどのような現象なのか。その意味と可能性を、中国古代思想「易(えき)」を手がかりに探ってみたいと思います。
「易」と聞くと、多くの人は「占い」を思い浮かべるかもしれません。
けれども、真の『易経』は単なる予言の書ではありません。
それは、この世界がどう動き、どう変化していくのかという“宇宙の呼吸”を記述した哲学書です。
易経の根本原理は、「気(き)」と「変化(へんか)」です。
宇宙には常に流動的な「気」の流れがあり、それが陰と陽という二極のエネルギーとして現れます。
この陰陽が交互に変化していくことで、万物は生まれ、消え、循環し続ける。
この変化の構造を「八卦」「六十四卦」という象徴体系によって可視化したものが、易経です。
六十四卦とは、あらゆる状況・出来事・関係性を、意味ある象(かたち)として記述したものです。
つまり、世界は単なる事実の集合ではなく、「象徴」として意味を帯びたかたちで現れていると、易経は見ているのです。
では、なぜ「卦を立てる(占う)」ことで未来がわかるとされるのでしょうか?
それは、「未来が決まっている」からではありません。
また「神秘的な力で予知する」からでもありません。
易経の核心は、その瞬間の“あなたの問い”と、“世界の気の状態”が共鳴して、意味ある象(かたち)が現れるという思想です。
このとき現れる卦は、偶然ではない。
その象は、あなたの問いと、世界の流れの「関係性」が映し出された鏡なのです。
つまり易経の占は、「当てる」ためのものではなく、
世界と自分のつながりを“象徴”として読み解くための儀式なのです。
この易的な世界観に、西洋心理学から極めて近いものを提示したのが、カール・グスタフ・ユングです。
ユングが発見し、晩年に『易経』と深く関わるきっかけとなったのが、いわゆる 「共時性(シンクロニシティ)」 です。
共時性とは、
「因果関係では説明できない、しかし意味のある一致」 のことです。
たとえば、ある夢を見た直後に、それと同じような出来事に出会う。
ある人物のことを考えていたら、その人から電話がかかってくる。
ある問いを抱えていたとき、偶然目にした本の一節がまさにその答えだった。
こうした現象は、統計的には「ただの偶然」として片づけられるかもしれません。
しかし、当人にとっては 「なぜこのタイミングで?」 という強い実感と感動が伴います。
ユングはこの現象を「深層無意識」と「外界の出来事」が意味によって共鳴する現象だと解釈しました。
ここで、ユングの共時性と易経の世界観が、深く共鳴することに気づきます。
これは決してオカルト的なものではありません。
むしろ、世界が単なる「物質の集積」ではなく、「関係性の網としての象徴空間」であるという、非常に洗練された認識論的転換です。
あなたが出会う人、出来事、病、直感──
それらが偶然ではなく、何らかの“意味”によって呼び寄せられているとしたら?
たとえば、ある師との出会い。
ある病気になったこと。
ある言葉に衝撃を受けたこと。
それらすべてが、「あなたという存在の問い」に対して、世界が応答してきた形であるとしたら?
このように捉えると、人生は「意味の編み物」として立ち現れてきます。
この時、世界は「観察の対象」ではなく、「呼びかけの主体」へと変わるのです。
世界とは何か?──
それは、固定された客観的実体ではありません。
むしろ、あなたの問い、あなたの存在の状態に応じて、“象(かたち)”として意味を帯びて立ち現れる場です。
そしてそれは、共時的な共鳴=意味の網を通して私たちに語りかけてきます。
易経が卦によって宇宙のリズムを読み取り、
ユングが夢や偶然の一致を通して無意識の声を聴いたように、
私たちもまた、「意味の共鳴体」としての世界に触れることができます。
次回は、この“意味の世界”がいかにして乱れ、欲と比較によって崩れゆくか──
そして、いかにして新たな倫理的宇宙観を築けるかを、『アガンニャ経』を中心に考察します。