Go to Top

ホーム

松戸 鍼灸治療 心療内科

鍼灸治療

ストレスによる息苦しさ、めまい、喉のつまり感、動悸、吐き気、不眠、頭痛、首肩腰痛、慢性疲労、不妊、目の不調などに。全身のバランスを整えて自律神経の乱れを癒します。

詳細はコチラ
脳血管障害後遺症 片麻痺 パーキンソン病 心療内科

頭皮鍼治療

頭皮の特定の機能局在領域(脳の各機能に対応する部位)やツボに細い鍼を優しく刺激することで、脳機能の活性化、神経伝達の改善、自律神経のバランス調整、精神的な安定を目指す施術です。

詳細はコチラ
松戸市 鍼灸

症例集

息苦しさ、不眠、動悸、うつ症状、痛み、めまいなど、幅広い症状に鍼灸で改善をもたらした症例集です。自律神経の調整から、体調不良まで、心身の調和を取り戻す症例をご紹介します。

詳細はコチラ

ご予約・お問い合わせフォーム

ご予約、ご相談、ご質問などはこちらのフォームをご利用下さい。

新着情報

【世界とは何か?】第5回:「病気」とは何か──仏教とユング心理学に見る“異常”の意味と可能性

「病気」は単なる“異常”か?

私たちは「病気」を、健康な状態からの逸脱、不具合、あるいは克服すべき問題と捉えがちです。
しかしそれは、身体や精神の苦痛という表層的現象にとどまらず、深い存在論的・意味論的メッセージを帯びています。

今回は「病気とは何か?」という問いを、仏教とユング心理学、そして私たちのこれまでの探究──「世界は意味に満ちた応答性の場である」という視点から再考していきます。


仏教における「病」──煩悩と無明のあらわれ

仏教では、「病(びょう)」は単なる身体の障害ではなく、無明(真理を知らぬ心)と煩悩(執着)によって引き起こされる苦しみの現れとされます。

『法句経』では、「病あることは苦なり、病なきことは安らぎなり」と述べられますが、これは肉体的な苦痛というより、煩悩によって歪められた世界認識が生む苦を意味します。

つまり、仏教において「病気」とは、心と世界の関係性が偏った状態ともいえるのです。


ユング心理学における「病気」──魂の自己調整としての症状

ユング心理学では、病気──特に神経症やうつ、夢に出てくる病的イメージ──は、単なる障害ではなく、無意識からのメッセージと見なされます。

たとえば、「ある日突然体調が崩れた」という出来事は、表面的には医学的原因があるかもしれませんが、象徴的には“人生の軌道修正”や“抑圧していた感情の爆発”であることもあるのです。

ユングは次のように述べています:

魂の病は、魂が自身を治そうとする努力でもある。

つまり、病は敵ではなく、魂の自己調整機能として尊重されるべき存在なのです。


「病気」は世界からの“応答”か?

私たちの問いに「世界が応答する」というこれまでの議論を思い出しましょう。
ならば、「病気」とは、私たちの生き方、関係性、内的な問いかけに対して世界が返す“ひとつの応答”だと捉えることができるのではないでしょうか?

たとえば:

  • 過労の末に倒れたのは、「立ち止まれ」というメッセージかもしれない
  • 慢性的な病が教えるのは、「自分と他人のバランスを見直せ」という呼びかけかもしれない
  • 長い闘病の果てに得た「生の意味」が、その人にとっての真の覚醒であるかもしれない

病と他者の関係──“応答する他者”としての看取り、看病、癒し

病気になると、私たちは他者に助けを求めるようになります。医師、看護師、家族、友人……そのときに現れる他者は、単なる支援者ではありません。

彼らは、「応答する他者」として、病という孤独の中に差し込む光のような存在です。

また、仏教の菩薩は、病者の苦をわがことのように受け取り、癒そうとする存在です。『維摩経』の維摩居士は、自身が重病でありながらも、病者の心に寄り添い、智慧を語る人物として描かれます。


病が開く「意味の転換点」──個性化と覚醒の機会として

ユング心理学における「個性化のプロセス」では、人生の危機、病気、喪失などの出来事は、“魂の目覚め”を促す転換点として扱われます。

病気によって、私たちは以下のような変化を経験します:

  • それまでの価値観が崩壊する
  • 他者の支えのありがたさに気づく
  • 死や孤独について考えるようになる
  • 本当に生きたい人生とは何かを問い始める

これはまさに、内面の再構成=個性化を進めるプロセスなのです。


病気と「死」の接続──終末と始まりのあわい

慢性疾患や難病、あるいは末期の病──それは、「死」という究極の問いに直面する場面でもあります。

しかし、仏教においては、病を通じて死と向き合うことが、煩悩を離れ、解脱への道に至る機会であるとも教えられます。
たとえば、『涅槃経』では、病の中でこそ真の仏法が現れると説かれています。

死にゆく過程は、単なる衰退ではなく、魂が意味へと向かって成熟していく旅でもあるのです。


おわりに:病とは、魂が世界と再びつながろうとする試み

「病」とは何か?
それは、ただの生理的エラーではなく、魂が内なる歪みを修正しようとする叫びであり、世界が私たちに返す“もうひとつの応答”なのです。

仏教が「無明を明らかにし、縁起を観よ」と言うとき、そこには「病を通じて生き方を見直すこと」が含まれているでしょう。

ユング心理学が「症状には意味がある」と語るとき、そこには「病こそが癒しの始まりである」という希望が含まれています。

私たちが病むとき、そこには孤独と苦しみだけでなく、「応答する世界」が静かに私たちに語りかけている声があるのかもしれません。

洗剤が原因と思っていた手荒れ――意外な原因と鍼灸による改善

「手荒れ=洗剤のせい」ではないこともある?

手のひらや指の皮膚がガサガサ、ヒリヒリ。

手荒れは特に女性に多く、家事や水仕事のせい、洗剤が合わないせい…と思い込んでいる方が多いのではないでしょうか?

もちろん、合成洗剤やアルコール消毒による刺激も原因の一つですが、実はもっと深いところにある「体のこわばり」や「巡りの悪さ」が関係しているケースもあるのです。

今回は、そんな「思い込みが覆された」ある女性の症例をご紹介します。

【症例】

40代女性・主婦

主訴:両手の手荒れ(特に右手のひらと指の関節まわり)

期間:2年以上

対応していたこと:

• 手袋を使って洗い物

• ハンドクリームをこまめに使用

• 病院でステロイド外用薬も処方されたが、一時的にしか改善しなかった

「毎日使っている洗剤が肌に合わないんだと思うんです」と話されていました。

 

【所見と施術】

視診では、皮膚の乾燥と小さな亀裂がありましたが、アトピー性皮膚炎などの基礎疾患はなし。

触診で気になったのは、前腕(特に屈筋群)の筋肉のこわばりと、脇の下(腋窩)の緊張でした。

特に、肘の内側から前腕にかけての筋肉が板のように固く、脇のあたりの張り感も強く感じられました。

鍼灸施術ポイント:

• 前腕屈筋群(円回内筋・橈側手根屈筋・浅指屈筋など)

• 上腕二頭筋・大円筋・広背筋

• 腋窩周囲のリンパ還流を促すための軽い手技も併用

 

【結果】

初回の施術から翌日には「手のひらのヒリヒリ感が減った」と実感され、

2回目(1週間後)の施術後には皮膚の亀裂がほとんどなくなり、赤みも改善。

合計4回の施術で、ステロイドを使わなくても日常生活に支障のない状態に回復しました。

 

【考察】

手荒れ=洗剤や外的刺激と考えがちですが、

筋肉の緊張による血流障害やリンパ液のうっ滞が皮膚バリアを弱らせ、結果として荒れやすくなっていたと推測されます。

とくに、腕や脇の筋肉がこわばると、手先への血行・リンパの流れが悪くなり、

肌の代謝や水分保持力が低下してしまいます。

この方のように、「内側の巡り」に目を向けることで、

長年の悩みが意外にあっさりと改善するケースも少なくありません。

 

【まとめ】

• 手荒れの原因は、必ずしも外からの刺激(洗剤など)だけではありません。

• 筋肉の緊張・巡りの悪さが関係する場合、鍼灸や手技療法での改善が期待できます。

• 長年治らない手荒れにお悩みの方は、一度「体の中からの視点」も取り入れてみてはいかがでしょうか?

 

参考文献

1.National Eczema Association. (n.d.). Hand Eczema. Retrieved from https://nationaleczema.org/eczema/types-of-eczema/hand-eczema/

2.DermNet. (n.d.). Irritant Contact Dermatitis. Retrieved from https://dermnetnz.org/topics/irritant-contact-dermatitis

3.American Academy of Dermatology. (n.d.). Dyshidrotic eczema. Retrieved from https://www.aad.org/public/diseases/eczema/dyshidrotic-eczema

4.Cleveland Clinic. (n.d.). Nummular Eczema. Retrieved from https://my.clevelandclinic.org/health/diseases/21617-nummular-eczema

5.MedlinePlus. (n.d.). Neurodermatitis. Retrieved from https://medlineplus.gov/ency/article/000868.htm

6.Braverman, I. M. (2000). The cutaneous microcirculation. Journal of Investigative Dermatology Symposium Proceedings, 5(1), 3–9. doi:10.1046/j.1087-0024.2000.00004.x

【世界とは何か?】第4回:多様な存在と応答する世界──仏教とユング心理学による存在論の探究

なぜ世界には多様な存在があるのか?

私たちが生きるこの世界には、驚くほど多様な存在があふれています。
人間、動物、植物、鉱物、微生物、そして山や海、雲、風といった自然現象──
それぞれが独自のかたちで「ある」ことを主張しているかのようです。
なぜこのように多様なものが存在しているのでしょうか?

さらに言えば、そのような多様な存在のひとつである「私」が、問いを発するとき、
なぜある存在は“応答”し、ある存在は応答しないのでしょうか?
この問いに対し、今回は仏教の深層的な存在論、特に『華厳経』『阿含経』やアビダンマを手がかりにしながら、
またユング心理学の補助線を引きつつ、丁寧に掘り下げていきます。


存在の多様性──縁起と無数の条件

仏教の中心的な思想のひとつが「縁起(パティッチャ・サムッパーダ)」です。
これは「すべての存在は、無数の条件が重なり合って成立している」という原理を意味します。

『経蔵小部自説経』では、縁起は次のように語られます:

「これあって、これあり。これなければ、これなし。」

一見すると単純なロジックに見えますが、この言葉が示しているのは、
世界のあらゆる現象が他との関係によって成立しているという、徹底した関係性の思想です。

山は山だけで存在しているのではなく、雨、岩、植物、重力、空気、そしてそれを見る「私」という認識主体が関与することで、
初めて“山”として現れる。そう考えたとき、多様な存在は、それぞれが孤立しているのではなく、
縁によって互いに支え合っているネットワークのようなものと捉えられます。


華厳経のヴィジョン──宇宙は相即相入の網の目

この縁起の思想を宇宙的スケールで展開したのが『華厳経』です。
『華厳経』における世界観は、「一即多・多即一」「一切即一・一即一切」として知られます。

たとえば、経典に登場する「インドラの網」は象徴的です。
インドラ神の網の交点には宝珠がかけられ、すべての宝珠が他の宝珠を映し合っている。
これは、あらゆる存在が他のすべての存在を内包しながら現れている、という壮大な宇宙モデルです。

この観点に立つと、世界に多様な存在があるのは、それぞれが他の存在と響き合いながら、
その関係性によって絶えず生成・変化しているからなのです。


存在同士の関係性──仏教的相依性とユングの元型

存在は孤立して存在しているのではなく、互いの相互依存によって形づくられます。
アビダンマにおいても、物質(ルーパ)と心(ナーマ)は常に縁によって結びついています。

ユング心理学では、このような関係性を「元型(アーキタイプ)」の相互作用と捉えることができます。
たとえば「母」「影」「師」という元型は、個人の無意識だけでなく、集合的無意識として存在し、
他者との関係を形成するひな型となります。

私たちが誰かと出会ったとき、「なぜか強く惹かれる」「なぜか恐れを感じる」といった感情は、
表層の人格ではなく、深層での元型同士の呼応である可能性があります。


応答する他者としない他者の違い──意味が通じるか否か

問いを発したとき、なぜか「応答が返ってくる」ことがあります。
たとえば、悩んでいるときにふと耳にした言葉が、まるで答えのように感じられる。
一方で、どれだけ求めても沈黙しか返ってこないこともあります。

この違いは何でしょうか?
仏教的には、それは「縁が熟しているかどうか」に関係しています。
アビダンマでは、心が対象と出会うときに一定の条件(縁)が整わなければ、認識すら起こらないとされます。

また、ユング心理学では、共時性(シンクロニシティ)が成立するのは、
内的準備と外的象徴が意味的に一致したときです。
応答が返ってくるのは、内なる問いが深まり、その問いに「意味の構造」が共鳴する条件が整ったときなのです。


「お金持ちになりたい」という願望はなぜ応答されないのか?

たとえば「お金持ちになりたい」と願っても、それがすぐには叶わない。
これは単に“努力が足りない”という話ではありません。

仏教では、欲望そのものに善悪の価値をつけませんが、
その欲望がどのような「業(カルマ)」の文脈で生まれ、どのような「縁」によって育つかを重視します。
「お金を得たい」という欲求が、自他共に益する動機であれば、
長期的には善因善果の方向に進む可能性がある。

しかし、短期的で自己中心的な「欠乏感」から出た願いは、
まだ縁が熟していないため、宇宙的な応答を得にくいのです。
ユング心理学的にも、「自己実現」とは、外的な富よりも内的な意味の探求に近づくとき、
深い一致が生まれるとされます。


応答とは〈意味の接続〉である

応答する世界とは、「意味が通じる世界」です。
世界が応答するのは、単なる言葉や行動にではなく、その背後にある「真の問い」「深い動機」に対してです。

応答しない世界とは、まだその問いが熟していないか、
あるいは外界との共鳴条件が整っていない状態だといえます。
つまり、応答とは“心の状態と世界の状態”が重なり合った刹那にのみ生じる、
精妙な〈意味の回路〉なのです。


おわりに:世界は関係の網の目として、意味の中に現れる

多様な存在があるのは、それが宇宙的な縁起の現れであり、
その関係性の網の目の中に「私」もまた織り込まれているからです。
応答する世界とは、その網の中で“意味が点灯する瞬間”です。

その意味は、計算や論理では捉えきれません。
心の深い問い、自己の誠実な探求、そして縁の熟成が重なったとき、
世界は「応答する他者」として立ち現れます。

このような世界観は、孤独感や疎外感に対して、
深い関係性と応答性を回復するための道を指し示してくれるのです。

代表プロフィール

稲森 英彦 Hidehiko INAMORI

プラナ松戸治療室代表

【略歴】
東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。
1998年に鍼灸師資格を取得。心療内科クリニックに勤務し、東洋診療部門を立ち上げる。
2005年に自律神経系・心療内科系鍼灸院のプラナ松戸治療室を開設。
現在(2025年)臨床歴27年。

アクセス

JR武蔵野線
新八柱駅・新京成線八柱駅から徒歩3分。
千葉県松戸市日暮3-10-10 カーザ日暮505
TEL 047-301-9015
アクセスを見る