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【世界とは何か?】第1回:世界は“象”として現れる──易経と共時性の哲学


たとえば、こんなことを感じたことはないでしょうか。

  • 悩んでいるとき、ふと目にした言葉が心に刺さった
  • ある問いを抱いていたら、まるで答えるかのような出来事が起きた
  • 偶然が重なって、導かれるように道が開けた

まるで、世界が自分の問いに応答してくれたかのような感覚です。

もちろん、現代的な合理主義の立場では、こうした感覚は「単なる偶然」や「人間の主観的錯覚」として片づけられがちです。しかし、宗教や哲学、深層心理学の伝統においては、こうした感覚には実在的な意味があると考えられてきました。

今回のシリーズでは、この問いを以下の知的伝統の交点で考察していきます。

  • 中国古代思想(とくに『易経』)
  • 上座部仏教(とくにアビダンマ)
  • 仏教創世神話(『アガンニャ経』)
  • ユング心理学(とくに共時性理論)
  • 哲学的存在論(とくに「他者」や「関係性」)

そしてこのシリーズを通じて、次のような根本的問いに向き合っていきます。

  • 世界とはなにか?
  • なぜこの世界には多様な存在があるのか?
  • そのなかで「私」はどのような位置を占めるのか?
  • 病気や死とは何を意味しているのか?

この一連の問いは、単なる思考の遊戯ではなく、私たちがどのように生き、他者と関わり、死と向き合うかという実存的な問題そのものです。

第1回では、『私の問いに世界が応答する』とはどのような現象なのか。その意味と可能性を、中国古代思想「易(えき)」を手がかりに探ってみたいと思います。


易経は「占い」ではない。宇宙の呼吸の記録である。

「易」と聞くと、多くの人は「占い」を思い浮かべるかもしれません。
けれども、真の『易経』は単なる予言の書ではありません。
それは、この世界がどう動き、どう変化していくのかという“宇宙の呼吸”を記述した哲学書です。

易経の根本原理は、「気(き)」と「変化(へんか)」です。

宇宙には常に流動的な「気」の流れがあり、それが陰と陽という二極のエネルギーとして現れます。
この陰陽が交互に変化していくことで、万物は生まれ、消え、循環し続ける。

この変化の構造を「八卦」「六十四卦」という象徴体系によって可視化したものが、易経です。
六十四卦とは、あらゆる状況・出来事・関係性を、意味ある象(かたち)として記述したものです。

つまり、世界は単なる事実の集合ではなく、「象徴」として意味を帯びたかたちで現れていると、易経は見ているのです。


占とは「予言」ではなく、「意味の共鳴」である

では、なぜ「卦を立てる(占う)」ことで未来がわかるとされるのでしょうか?

それは、「未来が決まっている」からではありません。
また「神秘的な力で予知する」からでもありません。

易経の核心は、その瞬間の“あなたの問い”と、“世界の気の状態”が共鳴して、意味ある象(かたち)が現れるという思想です。

このとき現れる卦は、偶然ではない。
その象は、あなたの問いと、世界の流れの「関係性」が映し出された鏡なのです。

つまり易経の占は、「当てる」ためのものではなく、
世界と自分のつながりを“象徴”として読み解くための儀式なのです。


ユングの「共時性」──意味がつなぐ出来事たち

この易的な世界観に、西洋心理学から極めて近いものを提示したのが、カール・グスタフ・ユングです。

ユングが発見し、晩年に『易経』と深く関わるきっかけとなったのが、いわゆる 「共時性(シンクロニシティ)」 です。

共時性とは、
「因果関係では説明できない、しかし意味のある一致」 のことです。

たとえば、ある夢を見た直後に、それと同じような出来事に出会う。
ある人物のことを考えていたら、その人から電話がかかってくる。
ある問いを抱えていたとき、偶然目にした本の一節がまさにその答えだった。

こうした現象は、統計的には「ただの偶然」として片づけられるかもしれません。
しかし、当人にとっては 「なぜこのタイミングで?」 という強い実感と感動が伴います。

ユングはこの現象を「深層無意識」と「外界の出来事」が意味によって共鳴する現象だと解釈しました。


易と共時性──意味を媒介に世界が“語りかけてくる”

ここで、ユングの共時性と易経の世界観が、深く共鳴することに気づきます。

  • 易経では、「卦」が意味を持った象として現れる。
  • ユングは、「偶然の一致」が意味を通じて私たちに“語りかけてくる”。
  • どちらも、世界が意味という回路を通じて私たちに応答するという世界観を持っています。

これは決してオカルト的なものではありません。
むしろ、世界が単なる「物質の集積」ではなく、「関係性の網としての象徴空間」であるという、非常に洗練された認識論的転換です。


“偶然ではない出会い”の背後にあるもの

あなたが出会う人、出来事、病、直感──
それらが偶然ではなく、何らかの“意味”によって呼び寄せられているとしたら?

たとえば、ある師との出会い。
ある病気になったこと。
ある言葉に衝撃を受けたこと。

それらすべてが、「あなたという存在の問い」に対して、世界が応答してきた形であるとしたら?
このように捉えると、人生は「意味の編み物」として立ち現れてきます。

この時、世界は「観察の対象」ではなく、「呼びかけの主体」へと変わるのです。


おわりに:世界は“象”であり、あなたの問いに応える鏡である

世界とは何か?──
それは、固定された客観的実体ではありません。

むしろ、あなたの問い、あなたの存在の状態に応じて、“象(かたち)”として意味を帯びて立ち現れる場です。
そしてそれは、共時的な共鳴=意味の網を通して私たちに語りかけてきます。

易経が卦によって宇宙のリズムを読み取り、
ユングが夢や偶然の一致を通して無意識の声を聴いたように、
私たちもまた、「意味の共鳴体」としての世界に触れることができます。

次回は、この“意味の世界”がいかにして乱れ、欲と比較によって崩れゆくか──
そして、いかにして新たな倫理的宇宙観を築けるかを、『アガンニャ経』を中心に考察します。