「気」という言葉はよく耳にしますが、実際にそれが何かを説明するのは難しいものです。東洋医学では、この「気」が体や心、そして自然のすべてを動かす力だと考えます。
そしてその「気」の流れや変化を読み取る手がかりとなるのが、『易経(えききょう)』という古代の書物です。一見占いの本のように見える「易」ですが、じつは自然と人間のつながりを教えてくれる深い知恵がつまっています。
今回は、「気とは何か?」をテーマに、東洋医学と「易」の関係をやさしくひもといていきます。
1. 陰陽論と五行説の根源としての「易」
東洋医学の基本理論である「陰陽論」と「五行説」は、どちらも『易経』の思想から派生したものです。
具体例:
• 『易経』では、宇宙のすべては「陰」と「陽」の相互作用で成り立つとされます。これは東洋医学の「陰虚」「陽盛」などの診断や治療法にそのまま応用されています。
• 五行(木・火・土・金・水)は、陰陽の変化が展開する過程を象徴的に表したものとされ、『易経』の64卦の中にもその要素が含まれます。
2. 気の流れ=変化の連続としての「易」思想
「易」の本質は「変化(易)」にあります。これは、身体を「気」の流れやバランスの変化によってとらえる東洋医学の根本思想と一致します。
具体例:
• 東洋医学では、病とは「気・血・水」の流れが滞った状態=「不易(変化が止まった状態)」と捉え、治療は「変化=易」による調整を行います。
• たとえば、舌診や脈診では一時の状態ではなく、変化の兆しを読むことが重視されます。これも「易」の「兆しを読む」思想に由来します。
3. 経絡や臓腑配当と「易」の八卦の対応
『易経』の「八卦(はっか)」は、自然界のあらゆる現象を象徴的に8つに分けたもので、これも東洋医学の臓腑・経絡の概念と対応しています。
具体例:
• 「坎(かん)」=水は腎に、「離(り)」=火は心に対応するという具合に、八卦と五臓六腑がリンクして解釈されることがあります。
• また、経絡の流注や気の循環のルートに八卦の配列を応用する流派もあります(例:太極図に基づく診断や治療法)。
4. 弁証論治における「象(かたち)」と「数(すう)」の応用
『易経』では、万物の性質や状態を「象(イメージ)」と「数(数理)」で捉えます。東洋医学の弁証論治も、まさにこの「象と数」による直感と理性の統合により成り立っています。
具体例:
• 舌の色や形、苔の状態などを「象」として観察し、体内の状態を「卦」のように読み解く。
• 漢方の処方にも「数(分量や組み合わせ)」の妙がある。これらも「易」の思想的応用といえます。
つまり「易」は単なる占いの書ではなく、自然界の普遍的な変化の法則を記した哲学書です。東洋医学は、この変化とバランスの法則(陰陽・五行・気の流れなど)を、人体というミクロコスモスに応用して体系化された医学です。
つまり、「易」は東洋医学の“思想的骨格”ともいえる存在なのです。
これまで『易経』と東洋医学のつながりについて説明してきましたが、実際にわたしが「易」を使って体験したお話を一つ紹介したいと思います。
この話を通して、「易」がどのように「気」の流れや変化を読み解く手がかりになるのか、感じていただければ幸いです。
5. わたしの占断例
わたしの結婚当初、妻がわたしの母から譲り受けた指輪をなくしてしまったことがありました。
わたしの母は6歳のときに自分の母親を亡くしており、その指輪は形見の品でした。母はその大切な指輪を、妻への結婚祝いとして贈ったのです。
ある日、妻は伊豆にある親戚の別荘の片付けをしていました。
帰り際、ふと自分の指を見ると──指輪がない!
一生懸命に別荘の中を隈なく探したそうですが、どうしても見つかりませんでした。
そして妻から私のもとへ、落ち込んだ声で電話がかかってきました。
わたしは、ふと思い立って易を立ててみることにしました。
出た卦は「風沢中孚」──何爻だったかは忘れてしまいましたが、
小成卦は「巽」と「兌」の組み合わせです。
巽の象意は、風、台風、吹雪など。
兌の象意は、場所でいえば沢、沼、溝、湖沼などです。
わたしは妻に「近くに水の流れているところはある?」と尋ねたところ、「ある!」と言います。
そこでわたしは「そこを丁寧に探してみて」と伝えました。
妻がその通りにしたところ、ほどなくして「指輪があった!」と喜びの電話がありました。
指輪は、別荘の前の道沿いにある、側溝のそばで風に吹かれていたのです。
まとめ:気は「いま・ここ」を超えて流れている
私たちの体は、単なる器ではありません。目に見えないエネルギー「気」が、そこに流れてはじめて、生きた存在として動き始めます。
東洋医学は、この「気の流れ」を読み取り、整える医学です。そしてその背後には、『易経』という古代の叡智が流れています。
『易経』は、自然や人間のあらゆる変化を「陰」と「陽」、「八卦」というかたちでとらえた書物です。そこには、「万物は常に変化し続けている」という深い視点があります。
東洋医学もまた、人の体や心を「固定されたもの」としてではなく、「移り変わるもの」「揺らぎながら調和をめざすもの」として見つめています。つまり、どちらも「いまこの瞬間の変化」を読み解くための知恵だといえるでしょう。
そして、気とは何か──。
それは、体内をめぐるエネルギーにとどまらず、
「人と自然をつなぎ」「時間と空間を超えてはたらく」ものでもあります。
たとえば、わたしが占った指輪の話のように、「気」は物の位置や人の感情、出来事の流れにさえ関わっているように感じられます。
気は、風や水のように姿を変えながら、場を動かし、人と人の間を動かし、あるいは“過去の想い”さえ、現在の出来事に影響を与えるように働きます。
だからこそ、東洋医学では「体だけを見る」のではなく、
「人の背景、感情、季節、時間帯、その人が置かれている環境」までを診るのです。
『易経』と東洋医学は、表面だけでは見えない「気の動き」を、
まるで風の音や水のささやきに耳を澄ませるように読み取ろうとする営みです。
そしてそれは、いまを生きる私たちにも、「見えないものの流れに気づく力」を育ててくれます。
目に見えないけれど、たしかにそこにある流れ──それが、気。
そして、その流れを読むための羅針盤──それが、「易」なのです。