私たちは「現代医学は科学的で正しい」と思いがちです。ですが、人類学や科学社会学の視点から見ると、少し違う見え方がしてきます。今回はフランスの思想家 ブリュノ・ラトゥール(Bruno Latour) の考え方をもとに、「医学も信仰である」とはどういうことかを、やさしく解説します。
科学って、本当に「中立」で「客観的」?
私たちは「科学は真実を明らかにする」と信じています。でもラトゥールはこう問いかけました。
科学的な“事実”は、研究室という現場で、人や道具やデータのやりとりの中から作られている。
つまり、「これは事実です!」と発表されるものも、実は長い議論や実験、そして社会的な合意の積み重ねによってようやく「事実」として扱われるようになるのです。
医学の「正しさ」も、実は社会が決めている
たとえば、風邪に抗生物質を出すべきか、がんに標準治療を使うべきか…。
こうした医学的な判断も、「科学的だから正しい」と思われがちですが、
- そのとき主流の学説
- 政治や制度(例:保険制度)
- 社会の価値観(例:「早期発見が大事」など)
こういった人間社会の都合に大きく左右されています。
科学も「信仰のネットワーク」?
ラトゥールの主張の中で印象的なのが、「科学も宗教に似ている」という視点です。
科学も、専門家・実験機器・論文・制度などによる「信頼のネットワーク」によって支えられている。
つまり、私たちが薬や治療を「効く」と感じる背景には、その医師や制度、医学的な世界観を信じているという側面があるのです。
では、何を信じればいいの?
これは現代医学を否定する話ではありません。むしろ、こうした「科学のつくられ方」を知ることで、
- 自分の体に合った医療を選ぶ力
- 医師や制度に任せきりにしない姿勢
- 代替医療や伝統医療を尊重する視点
を持つことができます。
ラトゥールの問いかけは、科学や医学を「信じる/信じない」で分けるのではなく、もっと深く理解し、使いこなすための視点なのです。
まとめ:ラトゥールが教えてくれたこと
- 科学や医学の「事実」も、社会の中で作られたもの
- 私たちは、科学を「信頼」によって受け入れている
- だからこそ、自分の判断軸を持つことが大切
医学も東洋医学も、アーユルヴェーダも、「世界の見方」のひとつです。何を信じるかは、あなた自身が決めていいのです。
文責:プラナ松戸治療室