「東洋医学にはエビデンスがない」と言われることがあります。
しかし、果たして本当にそうでしょうか?
今回は、東洋医学の「歴史的エビデンス」には信憑性があるのか?
そして、現代医学のエビデンスは“絶対”なのか?という問いを掘り下げてみたいと思います。
■ 東洋医学のエビデンスとは何か?
東洋医学は、中国を中心に数千年にわたって継承・発展してきた伝統医学です。
そこには膨大な臨床経験が蓄積されており、「効いたものが残り、効かなかったものは淘汰された」という歴史があります。
これは、現代科学がいうエビデンス(科学的証拠)とは異なりますが、経験的エビデンスと呼べるものです。
帰納的な知識の蓄積
東洋医学の治療や薬方は、「多くの人に使ってよかったもの」が記録・伝承されてきました。
これは、帰納法(たくさんの具体例からパターンを導く)に基づく知識体系です。
つまり、「何千年も人々が使ってきた」ということ自体が、一種の“証拠”と考えることもできるのです。
■ 論理的に見て信憑性はあるのか?
東洋医学は、西洋科学と同じ意味での「論理」では動いていません。
しかし、それは「非論理的」なのではなく、別のロジックに基づいています。
陰陽・五行・気の流れ
例えば、東洋医学は「全体のバランス」「変化の相関関係」を重視します。
これは西洋的な「原因と結果の直線的関係」とは異なりますが、人間の複雑な体の働きに対して、独自の合理性を持っています。
アネクドータル(逸話的)な証拠の価値
「この薬で良くなった」「この治療で改善した」という経験は、科学的には“逸話的”と見なされがちです。
しかし実際には、治療者にとっても患者にとっても、最もリアルな「証拠」と言えるのではないでしょうか?
■ 科学的エビデンスは絶対か?
では、現代医学が重視する「科学的エビデンス」は、絶対的に正しいのでしょうか?
実は文化的な背景がある
現代医学の根幹にあるのは、「無作為化比較試験(RCT)」や「統計的有意性」です。
これらは17〜18世紀のヨーロッパで確立された知の枠組みであり、いわば西洋思想の産物です。
科学は普遍的なようでいて、実は文化的な価値観の上に成り立っています。
■ ヨーロッパ中心主義と医学の支配構造
ヨーロッパ中心主義(Eurocentrism)とは?
ヨーロッパ中心主義とは、ヨーロッパ(あるいは欧米)の歴史・文化・知識体系を「普遍的で正しい」とみなす思想傾向です。
他の文化や価値観がこれに比べて劣っている、あるいは未発達とされる構造が根底にあります。
医療においても、この見方は強く影響しています。
西洋医学を唯一の「科学的」医療とし、その他の伝統医療(東洋医学・アーユルヴェーダ・アフリカ伝統医学など)を「非科学的」「時代遅れ」として切り捨てる傾向がそれです。
■ 医学と植民地主義の関係
植民地主義とは?
植民地主義(Colonialism)とは、一国(多くは欧米諸国)が他国・他民族を支配し、その土地・資源・文化・制度までも支配・再構築していく歴史的過程を指します。
この過程で、伝統的な医療体系も「文明化」の名のもとに解体・排除されてきました。
医療の植民地主義とは?
たとえば、イギリスの植民地であったインドでは、アーユルヴェーダが「非科学的」とされ、西洋医学が支配的な医療とされました。
同様に中国でも、清朝末期から中華民国時代にかけて、西洋医学が制度的に優遇され、漢方や鍼灸が排除される動きがありました。
医療は単なる技術ではなく、知の支配・文化の支配の手段にもなりうるのです。
■ 医学の多様性を認める視点
現代医学には多くの成果があり、それを否定する必要はまったくありません。
一方で、東洋医学を「非科学的だから価値がない」と切り捨てる姿勢には、文化的傲慢さや歴史的な支配構造の影響が含まれている可能性があります。
科学と伝統医学、それぞれの強みと限界を理解し、対立ではなく共存へ。
それがこれからの医療のあり方ではないでしょうか?
■ おわりに
「エビデンスがあるかないか?」という問いの前に、
「どのようなエビデンスを大切にするのか?」という問いを立てることが、私たちには必要かもしれません。
科学的エビデンスも、経験的エビデンスも、それぞれに意味がある。
その両方に敬意を払いながら、これからの医療と健康を考えていきたいと思います。
監修・執筆:プラナ松戸治療室